Vol.23 パーク読書環境考

                                                                                                    2016.04.04

春爛漫を迎えるこの季節、何か相応しいエッセイをと考え込みながら締切りが迫ってしまった。文才に乏しい我が身であれば当然の帰結と嘆きながら、季節にそぐわない内容となるが「パークの読書環境」について触れてみたい。<本来なら「読書の秋」とされる秋こそが相応しい?>

 

子供のころ親から口癖のように「本を読め!...云々」とパワハラを受けた思い出を抱えているのは一人私だけでは無いものと思われる。反動からか自他ともに認める読書嫌いに成人したと自覚している。その後、現役時代の通勤・出張などの移動時間の暇つぶしに自然と適当な文庫本を嗜むようになった。そのうちに、或る作家に傾注してしまいその作家の膨大な著述書籍をほぼ読み切ってしまった。可なり大きな書店の出版社別・著作者別などに並んでいる書架の背表紙を検索しても、その作家の作品については既読書ばかりになってしまい、ちょっと寂しい気持ちを味わったりしている。斯様な経緯を辿りながら自然に或る程度の読書癖が身に着く中、今更ながら親の言っていた意味が解ったような気がする。尤も最近は電車内や喫茶店内などでの読書風景は影を潜め、スマホなどの携帯操作に取って代わられた感がある。インターネットを利用したSNS・SMS・ゲーム等々に競って勤しんでいる世相に変わってきている。中にはiPadなどで本が読めるアプリを使い読書に勤しんでいる人を偶に見掛けるが、極めて少ない。

 

  このような時代背景を反映してか、我がパーク周辺にあった書籍店舗もここ数年の間に次々と姿を消してしまった。身近な例では隣のイトーヨーカ堂内の本屋、ポレポレ通り斜め十字路傍の本屋、高津駅前の本屋さんなどが消えている。残っているのはノクティプラザ7階と南武沿線通りに面した文教堂書店の店舗二軒だけに淘汰されたようである。

 

 この間、現役を退きリタイヤ生活に入った私の読書方法も徐々に変化を来してきた。それまで、手軽さや安価であることから文庫本を中心に購入し読み進めていたが、決して広くない家の中を映し、読み終わった本のスペース問題が勃発するようになって来た。うっかりすると家内に勝手に破棄されて思わず揉め事に発展することも・・・。「どうせ置いていても読み直さないでしょう?」との殺し文句に反論ままならず煮え湯を呑む思いをしたことは一度や二度ではありません。加えて、文庫本と云えども費用もバカにならないとのリタイヤマンの哀しさから、若い時分には寄り付きもしなかった図書館の利用を考えたのです。折角買った本を捨てられて腹を立てることも回避でき、一挙両得にも繋がるのではないかとの発想から、重い足取りだったが足を図書館に向けてみた。

 

  近郊の図書館となると「川崎市立高津図書館」が高津駅から5分ほど、パークから15分と掛からない処にある。昔、帝京大学付属幼稚園があった場所で、大山街道からちょっと入ったところにある。パーク創立と共に入居した30年以上前、子供をその幼稚園に通園させていたと記憶している。近道は高津駅近くの高津警察署の横の裏道を抜け、大山街道に出たところの信号を渡ったところにある。

 

利用し始めて驚いたことは、リタイヤ生活と思しき多くの人達が書架の並ぶ窓際のソファー状ベンチいっぱいに座り込み、読書をしている光景でした。溢れた人は、書架の脇に置いてある踏み台と思しき台に座り込んで読書ならぬうたた寝を決め込んでいる人もいるようで、利用者が予想以上に多い印象でした。冷暖房が完備され静寂を旨とする図書館内は、多くの暇人の憩いの場と化しているような光景で、意地の悪い見方をすれば、暇な高齢者の適当な暇つぶしエリヤとも見えるほどでした。書籍のジャンルも多岐に渡り、残りの人生を読書に費やしても読み切れないほどの書籍に溢れた環境が、身近に存在することを改めて感じる思いでした。

 

  利用にあたっては、貸出しシステムも電子化されていて、貸出カードさえ作ってもらえば至って簡単で便利である。最初は、膨大な書架の中から読みたい本を捜すのに手間取ったが、備え付けのPC検索システムから捜し出す方法として、ジャンル別・書籍名別・作家名別・出版社名別、等々からの検索も可能になっている。貸出を受けた後も、期限前日に返却期限の連絡メールをPCやスマホで受信出来、読み切れていない場合はそのままSNSから自動延長手続き(2週間-1回のみ)が出来る。また、SNS上の図書館HPから書籍の検索や貸出しの予約まで出来て、非常に便利である。予約に関しては、貸出中などで「高津図書館」に無くても川崎市の他の図書館にあれば取り寄せてくれて、貸出し準備完了のメールを送ってくれる。後は所定の期間に受け取りに行けば良いだけで、手続きを含め至って簡単で便利である。

 

私の最近の利用体験を参考までに記してみます。某著名作家の二十四巻からなる全集を読み進めたが、中身は一冊二段書き500~600頁程の四六版サイズの作家名タイトルの全集で、短編集から2巻に跨る長編ものまで網羅した全集であった。最初は書架の中からこの作家の単行本を適当に数冊読んでいたが、興味が深まり隣接して並んでいる全集を読むことにしようと思い立った。この時、書架に並んだ全集は必ずしも全巻揃っている訳ではなく、貸出中らしく歯抜け状態で並んでいた。従って途中の巻から読み進めざるを得なかったが、2巻に跨る長編ものに遭わない限り別段の不都合は無く手当たり次第に順不同で読み進めた。始めは、番号の若い順からと思いながらも貸出中で欠巻があって、止む無く飛ばして貸出を受け読み進めるうちに、背表紙に「○○○○全集-第△△巻」としかないため、既読と未読の区別が付かなくなってしまった。それなりの長編であれば収録されている目次などから既読・未読の区別が付くが、特に短編小説集などになれば1巻に15編程度の題名が並んでいて目次からだけで内容が計れる訳では無かった。

 

困り果てて、自分の貸出しカード番号から、既に貸出しを受けた書籍名の記録をリストアップしてもらえないか窓口に尋ねてみたところ、対応出来ないとの答えだった。システム上出来ないのか、それとも情報管理上禁じられていのかは不明だったが、「そういう事は出来ません」との回答にそれ以上の突っ込みは控えざるを得なかった。止むを得ず、中の目次から記憶に残る既読の巻番号と、それ以降新たに貸出しを受けた巻番号をスマホのメモ帳に記録し、重複を回避する努力を重ねた。それでも、記録されていない巻番号を借り受けて読み進めているうちに、途中で既に読んだ巻であることに気が付かされることもあった。ここで驚いたことに、再読になっても結構新鮮な気持ちで読めたことに不思議な気持ちを持った。これは一種の認知症の表れでは?との懸念が無い訳ではないが、細かい詮索は止めることにした。

 

   因みに、私の読書環境をサポートするためにと、「楽天Kobo」なる電子書籍機器を娘から誕生日プレゼントされた時がある。これはインターネット上で書籍ソフトを購入し、その機器に書籍をダウンロードしディスプレーで読むことが出来るという代物である。文庫本に近いサイズで、持ち運びも便利であり、部屋だろうが電車の中だろうが何処でも読むことが出来る。書籍相当数分がダウンロード出来、読む文字の大きさなどが自由に替えて読める機能などを有する優れものらしい。しかし、私はこのプレゼントを受けた前後から図書館を利用するようなり、結局このKoboは利用されることなく埃を被っている。多分、度重なる我が家の文庫本スペース問題を解決するために、臨んだ娘の思い遣りを台無しにしてしまったと思っている。多少の後ろめたさが残っていて、未だに心の棘として突き刺さっている。

 

私の読書スピードは、極めて遅いと自覚している。人によっては斜め読みとか称して驚くほどのスピードで読み進められる御仁がおられるようで、一度に5~6冊の書籍を貸出してもらっている人を見掛ける。極めて遅読の小生からみれば、寸暇を惜しんで読書だけに励んでおられる好事家もいるものだとの感想で、世の中には様々に凄い人がおられるものと感心するほどである。

何れにせよ、スマホなどに代表される電子媒体が溢れている現代ですが、我がパークには身近に質の良い図書館もあり、周囲の書籍店の減少を補って余り有る読書環境であることを改めて感じている次第である。

 

 

 

                            D棟404 村本 顕一