パーク悠々漫歩 Vol11 「総会、防災 ~ 管理組合雑感」立石正治氏


早いもので今年も4月に入りました。桜の便りが聞かれる季節となり寒かった冬の終わりです。考えますと、今年度の管理組合活動も残り3ヶ月となりました。今回は、最近感じていることを雑感として述べてみたいと思います。

 

まず、昨年の6月総会時のことが甦ります。私は定期住棟総会の議長役を任されたのですが、私の議長としての経験不足と能力不足から皆様にご迷惑、不信感を抱かせる結果となり反省すると共に申し訳なく思っているところです。

本来私個人としても、皆様のご意見、お話は十分拝聴したい、すべきと考えています。この考えは、理事長も同じだと思います。ただ昨年の総会では、十分に皆様のお話、ご意見を聞く時間が取れず議事進行が紛糾致しました。正に禍根を残す結果となり、残念に感じました。

このことにつきましては、昨年の役員の皆様、総会にご出席された管理組合の皆様にお詫びの言葉もありません。

 

一方、なぜ十分な時間が取れなかったかもご理解いただきたいと思っています。

昨年の定期住棟総会の議案は第13号議案あり、持ち時間は午後1時から2時迄の1時間でした。時間は延ばせば良いではないかと言う考えは当然あると思いますが、定期住棟総会の後に開催される定期全体総会が、午後5時までに終わらなければならないとの時間厳守を言い渡されており、定期住棟総会も延長することは出来ませんでした。これは、例年の総会に倣い終了時間を決定、会場である「てくのかわさき」に申し込んだことによるものだと考えられます。公の会場を時間借りした場合、時間厳守は必然かと思います。

 

また、議案の関係から計算しますと、13議案を60分(持ち時間1時間)で審議するには1議案当り4.6分(約5分)しか取れません。このため質問は簡潔にお願いせざるを得ませんでした。

更に、考えていただきたいことがあります。そもそもこのように議案が多くなったことです。何故、13議案もの数になったのでしょう。

これは、当マンションが築30年を越え、色々なところで課題、問題点が浮き彫りになってきたからではないでしょうか。これまで、気が付かなかったこと、手を着けなくても済んできたこと、或いは手を着けられなかったことが、年月が経つことでぎりぎりの処まで来てしまい、手を着ける必要に迫られた為ではないでしょうか。内容的には、大規模修繕工事の対応、植栽問題、規約の見直し・検討、財政の健全化、防災対策、高齢化への対応・対策、コミュニティの構築等々多岐に亘ります。

この為、大きな議案につきましては、事前に説明会も開催されました。

更に、総会の終了後には皆様からのご意見やご要望等、日頃お感じになっていられることをお話しできる時間を設けてありましたので、この時間を利用していただければと感じていました。

 

今年の総会では時間を長めに設定していこうとしています。前向きに改善されていくことで、皆様のご意見・ご意向に沿う方向に向うものと期待しているところです。

 

話は全く変わりますが、このところ防災対策・災害対応に関する話題も多く、その為の講習も盛んに開催されています。これは、関東地域でも大災害がいつ発生してもおかしくないという見解が出され、防災対策・災害対応が急務だからと思われます。

そうした中、先日受講した講話の中で色々な意味合いを含み、考えさせられたお話がありましたのでご披露したいと思います。

 

― 天明の 生死をわけた15段 ―

この言葉をご存知の方は多々いらっしゃると思いますが、この話をさせていただきます。

天明3年(1783)8月5日浅間山が大噴火を起こしました。この時溶岩流(鬼押し出し溶岩流)と火砕流が北麓を走り、土石雪崩となって吾妻川流域に流れ込み、地形によって高さ100mまで膨れ上がった泥流が谷間の家や田畑を次々と呑み込んでいきました。泥流が流れ下った群馬県側の長野原町や嬬恋村鎌原地域では大噴火による死者が約1,500人にものぼったそうです。

火口から北に10km余りに位置する鎌原村では、村人達が悲鳴を上げながら高台へと殺到しますが、あっという間に呑み込まれていきます。(この時の泥流の速さは時速120kmと推定)

結果、鎌原村一帯は、477人と共に一瞬にして地中に消えてしまいます。奇跡的に助かったのは高台の「観音堂」に駆け上がり、残った15段より上に居た93人のみでした。

昭和54年(1979)、厚さ6mの土砂に埋まった旧鎌原村で、唯一残った「観音堂」とそれに続く15段の下から残りの35段が現れ、2人の女性の遺体が折り重なって見つかりました。髪の結い方から40代と60歳前後の二人とみられ、若い方が老いた方をおぶったような感じでした。母と娘、あるいは姑と嫁、あるいは近所のおばあちゃんを背負った女性か、いずれにしろ【生死をわけた15段】まで届かなかった命です。

発掘された当時、村人が二人の遺体を残り15段運び上げ、正に200年の時を経て二人の思いを成し遂げてあげたそうです。

 

皆様既にご存知の通り、防災対策・災害対応を考えるうえで「自助・共助・公助」という考え方があります。

・自助とは 自ら(家族も含む)の命は自らが守ること、または備えること。

 ・共助とは 近隣が互いに助け合って地域をまもること、または備えること。

・公助とは 国や地方公共団体を始め警察・消防・ライフラインを支える各社による応急・復旧対策活動のこと。

を指します。

大規模な災害であればあるほど「国が、県や市が何とかしてくれるハズ」と期待しがちですが、公助には限界があります。個々人を優先して助けてくれることは余り期待できないと考えた方が賢明ではないでしょうか。

防災対策・災害対応においては、まず自らがその生命や財産を守り、そこから共助、公助に期待される役割を組織としてどう構築していくかがこれからの課題だと思われます。当マンションにおける防災対策・災害対応を考え、構築していく上でも、基本的には同様であろうと思います。

互助・共助といっても、災害時のパニックの中で或いは条件が同じで無い中(災害のレベル・内容はまちまち、発生時間により災害の状況・対応の仕方が常に変わる、居住者の皆様の在宅状況はどうか、援護予定者のその時の状況・状態はどうか)等々、机上で作成されたシナリオが発揮出来るかはなはだ疑問です。多分緻密な計画と準備、そしてその時々を想定した訓練が必要ではないでしょうか。

 

ちなみに、阪神淡路大震災で生き埋めになった人達が誰によって救出されたかの統計・調査では

  自助(自力で家族に)    66.8%

  共助(友人、隣人、通行人) 28.1%

  公助(救助隊に)       1.7%

  その他            0.9%

となっており、自助、共助の果たす役割の重要性が分かります。

 

前述の話に戻します。

もし、若い女性が老いた女性をおぶっていなかったら、15段の階段を上がれたのではないでしょうか。と云うことは、若い女性は助かったのでは。

ここに非常に難しい問題を抱えていると思います。まず、自らが助からないと、その後のことは何も出来ません。でも、身内、隣人等で困った・助けを求めている人がいたら本当に見捨てられるだろうか。私なら、その時にどうするだろうか。皆様ならどうされますか。本当に考えさせられます。

 

一方、東北地方には、「津波てんでんこ」という言葉があるそうです。この意味するところは、「津波が来たら、取る物も取り敢えず、肉親にも構わずに、各自てんでんばらばらに一人で高台へ逃げろ」「自分の命は自分で守れ」ということですが、文字通り取れば「他人を置き去りにしても逃げよう(逃げてもよい)」と、取られてしまうことになります。しかし、それはこの言葉の本来の意図でなく、「あらかじめ互いの行動をきちんと話し合っておくことで、離れ離れになった家族を探したり、とっさの判断に迷ったりして逃げ遅れるのを防ぐのが第一である。」ということだそうです。

なお、「自分だけが助かり、他人を助けられなかったとしてもそれを責めない」

という不文律でもあるということです。

 

これらのことから考えますと、災害時の対策・対応としては、あらかじめの話し合いが大切、とっさの判断と行動が出来ることが大事ということでしょうか。

当マンションでも、防災の為の準備、災害時の対策をなるべく早く構築していくことが必要だと思います。しかし、その為には人・物・金が必要ですし、プライバシー・個人情報等の問題も含んでの取り組みの為、そう簡単では無いように思われます。

まずは、居住者の皆様がお互いを知り、前向きな話し合いを行い、仲良くなる(プライバシーを侵害しない範囲で)ことが必要ではないでしょうか。

一言で言えば、コミュニケーションづくりです。ここに、全ての鍵があるように感じて止みません。

 

 

最後に、浅間山の天明大噴火を生き残った鎌原観音堂には毎日住民らが集い、訪れた観光客らにお茶をふるまうと同時に噴火の歴史を語り継いでいるそうです。

 

平成25年度住棟委員長

                   立石正治